SEALDsとは一体何だったんだろう




安全保障関連法反対を訴え続け、活動を続けてきたSEALDS(以下シールズで表記)ですが15日に解散したようですね。ネットでは彼らの話題には事欠かないため、良くも悪くも個人的には楽しませてもらいました。彼らが解散したことを受けて結局のところシールズって一体何だったんだろう。結局のところ何がしたかったんだろうと素朴な疑問が湧いたので少々振り返ってみたいと思います。

名目的には集団的自衛権の行使も含めた安全保障関連法の反対という大義名分を掲げた行動ということになっていますが、彼らのバックに共産党の影が見え隠れしており、いえ、見え隠れではないですね。非常に分かりやすい形で共産党の活動を後押ししており共産党の下部組織にしか見えませんでした。

彼らの活動というか街宣の模様というのはYoutube等で気軽に見ることはできますが、ラップ調で朝鮮太鼓のリズムに合わせて「安倍は辞めろ」、「憲法守れ」こんな感じです。他にも色々といっていますが、全く心に響きません。
正直なところ有権者たる国民の総意で選ばれた一国の首相に対して敬称で呼ばない人間というのは正直品性が感じられないので、まず嫌悪感がでます。どれだけ毛嫌いしていたとしても国民の代表に対して最低限敬意を払う、これは人間としての最低のモラルだと思います。それができていない人間が何を言っても信用するに値しないし不快感しか感じません。

また街宣においてこのような派手な活動というのは一見すると人の目を嫌でも引きます。最初はラップ調で自分たちが主張する内容について概要を分かりやすく伝える。これ自体は悪く無いと思います。ただその後、自分たちがなぜ集団的自衛権の行使を含めた安全保障関連法に対して反対の姿勢を明確にするのか、論理的に主張を展開すべきだと思います。

集団的自衛権の行使を憲法解釈ではなく、憲法で容認する場合に、はたして戦争のリスクは高まるのか?なぜそう思うのか?そのあたりについて聴衆に対して分かりやすく主義主張を展開すべきだと思います。彼らの主張に対して一定の合理性があればそれこそ彼らに賛同する人間が爆発的に増えて先の国政選挙、都知事選においても多大な影響を与えていたかもしれません。

ですが彼らの活動にはそのような論理的な主張は見られません。彼らからすればしていたのかもしれませんが、正直小学生や中学生の主張と大差無いです。彼らはただ感情に任せて自らの主張を展開していたに過ぎません。
仮にですが、彼らの主張通り、集団的自衛権の行使も含めた法改正により戦争のリスクが爆発的に高まるとします。多くの国民はそのことに対して非常に危惧している。そのような状況であれば例え感情に任せた主張であれ国民の関心を惹きつけその活動は大きなうねりとなり先の国政選挙に対して多大な影響をあたえることに繋がったと思います。

ですが、多くの国民はそのように感じてはいないと思います。戦争を避けるうえで一番重要なのは周辺諸国との間での軍事力のパワーバランスです。それが拮抗している間は紛争などの小競り合いは起こったとしても全面戦争を避けることは可能です。それが世界最強の軍隊であるアメリカ軍が駐留していれば尚更です。アメリカと締結している日米安全保障条約が有事の際にただしく機能するのかどうかは別の問題として、在日米軍が極東において特定アジアやロシアに対して睨みを効かせている限り戦争のリスクは大幅に下げることは間違いないといえます。

一例を上げれば1950年に勃発した朝鮮戦争にもいえますが、朝鮮戦争が起こった要因は俗にいうアチソン声明、時のアチソン国務長官が、アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島までであるとしたものですが、これによりアメリカの大規模な介入は無いと踏んだ北朝鮮に戦争に対する大義名分を与えたことはいうまでもありません。

ただ問題なのはアメリカは世界の警察として世界中で治安維持の役割を果たしてきたものの、国力の低下に伴いその莫大な軍事費を支えきれなくなった場合、モンロー主義を唱え他国の紛争に介入することは辞め、莫大な維持費用がかかる国外の米軍基地を撤退させるかもしれないこと、その結果軍事バランスの拮抗が破れ戦争のリスクは極端に上がる点です。次期アメリカの大統領に仮に未熟な指導者が選出された場合にこのパターンが現実味を帯びてきていることが一番怖いです。

話は戻りますが60年と70年に日米安全保障条約の反対を主張して展開された安保闘争も戦争のリスクが上がることを危惧した点はシールズの活動とその理念の崇高さは別として大差はないといえますが、結果的に安保改正により戦争のリスクは上がったのかといえば、戦後70年あまり戦争は起きていません。結果的に見れば彼らには先見の明がなく活動は何の意味もなさなかったわけです。

若者が国を憂いて右よりでも左よりでも主張は異なっても行動すること自体は別に悪いことではないと思います。ただ、シールズのデモを見ていると分かりますが、大多数は老人の集まりです。若者が主体的に活動しているというのはほんの一握り、後は安保闘争世代が単に年を経て老人になって活動に参加している老人の集まりです。多分ですけどね。

仮に安保闘争に参加した世代が安保改正により戦争のリスクが大幅に減ったことを経験則としても理解できず、今回の安全保障関連法に対して戦争のリスクが上がることを理由にシールズの活動へ参加している場合、残念ながら知能が足りないとしかいえません。20才までに自由主義者でなければ、情熱が足りない。40才までに保守主義者でなければ、知能が足りない。これはチャーチルの言葉ですが、そんなところだと思います。

仮に戦争のリスクが上がろうが下がろうが反対ということであれば、ただの政治ごっこといわれても止む終えません。よくわからないのは一般的なリベラルというのは自由が脅かされるくらいなら銃を手にとって戦おうになると思うんですが、日本の自称リベラルはなぜ憲法守れになるのか?ちょっと意味が分かりません。

銃を手にとって戦って自由を勝ち取るのではなく侵略されてでもよいから戦争は駄目で隷属してもよいから卑屈に生きていこうということでしょうか。日本のリベラルの定義って意味がわかりません。

結局のところ、シールズは安保改正を受けて戦争のリスクが下がったことを歴史から理解することが出来なかった、今回の法改正でも戦争のリスクが下がることは理解できないとしたら、ただの政治ごっこに過ぎません。聴衆を引き付けるには論理的な主張だけでは駄目で感情的な主張というものも効果を発揮します。ただ、あくまでも主張に一定の合理性がある場合だけ感情的な主張、スピーチは効果を発揮します。両輪はどちらが欠けても効果は発揮しません。

先の国政選挙、都知事選においての野党の惨敗をみるからにシールズが応援すればするほど残念ながら多くの大衆の心を惹きつけるどころか結果的には効果はシールズが応援すればするほど惨敗でありマイナスにしかなっていないようです。先の国政選挙では選挙権が18歳に引き下げられ、若者の投票先が非常に注目されましたが、その多くは自民党へ票は流れたようです。若者の代表としてメディアも大きく取り上げましたが大多数の若者にシールズの主張は支持されていないことは明らかであり、結局のところシールズの主張は大多数の若者の声を代弁したものではなく、一部の声がでかいだけのノイジーマイノリティであることが明確になりました。

ただ思うのは彼らも可哀想な存在だということです。なんというか大人の人間にいいように使われた感が否めないからです。メディアに踊らされ共産党や元民主党に良いように使われ、選挙が終わり役に立たないと見られ賞味期限が過ぎたらゴミ箱にポイです。結果的にシールズのメンバーで実名でSNSをしていて顔と名前が一致する人間はまずまともな企業では採用してくれないでしょうし、まともな企業であれば身辺調査もすると思いますので学生時代に政治活動に熱を上げる人間を採用するとは思えません。若気の至りとはいえ払った代償は大きかったというしか無いです。

共産党の下部組織として尽力し暴力極左であるしばき隊とつるんでいる時点で、彼らシールズがどのような人間なのか察しがつくというものです。







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