レッサーパンダ帽男殺人事件②

今回は山口誠の生い立ちと彼を取り巻く環境、その半生について振り返ってみたいと思います。
(以下、累犯障害者より引用)

生い立ち

山口誠は1972年2月、北海道札幌市中央区にその生を受けます。その前月に入籍したばかりの27歳の父親と23歳の母親との間にできた第一子です。
父親は中学卒業後、営林署に勤めたものの2ヶ月ほどで辞めその後はいくつもの印刷会社を転々としています。
仕事の内容は大半が手刷り作業、実家から通勤していたので遊ぶ金には困らずパチンコ店には毎日のように通っていた模様。
山口一家は母方の祖母や兄夫婦との同居生活を送る事になります。結婚後も父親のパチンコ店通いは止まることはなく、給料の多くはパチンコ代に消える事になりますが、その分母親がパートに出て家計を支える事となります。
こうした生活の中で長男誕生から二年後に次男が、四年後に長女が生まれます。その後山口誠が小学三年生の時祖母の死を機に一家は近くのアパートへ転居する。
山口誠は小学校、中学校と地元の普通学校に通うものの成績はオール1に近く学校や学校の外でも苛めの標的となります。
中学卒業後、本人はどうやら調理師になりたかったようで専門学校への入学を希望していたようですが、学校側からの進めにより札幌市立豊明高等養護学校へ進学します。
高等養護学校三年の時に母親が白血病により他界、この頃より3,4日程度の家出を頻繁に繰り返すようになったそうです。

学校卒業後

1990年三月、高等養護学校卒業後、山口誠は卒業と同時にクリーニング店に雇用されます。しかし一ヶ月持たずに辞める事になります。「養護学校卒の知的障害者」と馬鹿にされ執拗ないじめに遭っていた模様。次に印刷会社に就職したもののこちらも長続きはせず、ある日突然逃げ出すように職場を去っています。ここでも苛めにあっていたようですが、ここでの苛めは凄惨を極めこの間に受けた暴力により山口の前歯はほとんど失われる事になります。
その後は塗装会社に転職をしたものの無断欠勤と家出を繰り返し、やがて金に困り浮浪者に近い生活を送るようになっていきます。

事件が起こるまでの犯罪暦

その後、置き引きや銃刀法違反の罪で罰金刑をうける等の微罪を犯しますが、初めて懲役刑となる事件を犯します。1994年22歳の頃に函館市内でモデルガンを手にして公園のベンチに女性を座らせ金銭を要求すると同時に体に触れた事から「強盗未遂」および「強制わいせつ」の罪に問われ懲役三年、執行猶予5年がつくことになります。
ちなみにこの事件では被害者の女性が金を要求されたものの「金がないので銀行で降ろしてくる」と言ってその場を逃れた後、すぐに警察に駆け込んでいます。当の山口はというと現場で女の言う事を真に受けて現場付近にいたところを現行犯逮捕されています。なんとも間の抜けた犯行というしかありません。

函館での事件から半年後山口は放浪先の熊本県内において窃盗事件を起こします。
容疑は自転車泥棒ということですが、浮浪者生活を行っている際にねぐらとしていた橋の下で警察官の職務質問を受けそこで犯行が露呈する形になりました。
函館の事件で執行猶予判決を受けていたにもかかわらず、今回の窃盗事件を起こすことは健常者であれば執行猶予が取り消される事になる事を理解しているため自転車の窃盗などにも慎重になるものと思われますが、実に大胆というか何も考えていないのかもしれません。
これにより熊本簡易裁判所は懲役10ヶ月の実刑判決を下し山口は23歳にして受刑者となります。函館での「強盗未遂、強制わいせつ」事件での執行猶予は取り消され懲役三年が刑期に加算されることになります。
熊本刑務所京町留置支所を経由、福岡刑務所へ収監、26歳以下の受刑者であったため佐賀少年刑務所へ移送されることになり初めての服役生活を送る事になります。

その後26歳の誕生日を迎えた後11ヶ月の刑期を残して仮釈放されます。
通常手持ちの金のない出所者には帰住地までの交通費、片道分が支給されるようです。飛行機で北海道に戻った山口は空港まで出迎えた父親に連れられ一端は帰宅する事になります。
仮釈放中は保護観察処分を受ける事となり刑期満了日までは必ず届出の帰住地に置いて生活する事、三日以上家を空けるときは事前に保護観察所の許可を得る事、二週間に一度担当保護しと面談する事等様々な尊守事項が課せられているが、このときの山口は保護観察所への出頭義務も果たさず翌日には自宅から姿をくらまし所在不明となります。

山口が出所して一ヵ月後、北海道地方更生保護委員会は保護観察の停止を決定、発見次第身柄を拘束され刑務所に再収監され残りの刑期を勤める事とになります。
行方をくらませてから一年二ヵ月後、山口は青森県内で詐欺罪(無銭飲食)により逮捕され詐欺罪での懲役10ヶ月、以前の残りの刑期を加え青森刑務所に服役する事となります。
二十九歳の誕生日を前にした2001年1月刑期を残り一ヶ月残して受刑生活を終える事になります。
その後出所した山口は青森駅のホームまで刑務官の付き添いを受け函館行きの列車に乗るものの札幌の自宅には戻らず、行方をくらませます。
何処に行っていたのかといえば、目的は不明ですがどうやら東京まで行っていたようで、金のなくなった山口は交番に出向き保護を求めたようです。その後上野駅発の列車に乗り札幌駅に到着したところを父親が出迎えようやく自宅に戻る事になります。

山口誠の放浪癖

山口の放浪癖は母親の死後から現れるようになり、高等養護学校在学中にも繰り返し行われているようです。
「東京ドームを見てみたい」と思えば、その日の内に金を握りしめて列車に飛び乗る。そして目当ての場所をしばらくさまようと、所持金が底をつき交番へと駆け込む。
所持金が底をついたとき、自宅までの交通費がない場合に交通費を工面、あるいは面倒を見てくれて、本人が自宅に帰り着いたときに費用を請求するんだそうです。(実際にできるかはわかりません)
この放浪癖は在学中に始まりそれは塗装工として働きに出てからも繰り返し行われており、そのたびに家族が旅費を負担していたようです。

しかし山口誠の放浪癖という名の旅行は、決して豊かではない家庭に大きな負担を強いることになります。
父親は大のパチンコ好きであり稼いだ金はほとんどパチンコに使い込む有様であり、山口誠のこれらの放浪時の旅費の大半は、山口誠の妹が工面する事となります。
妹は母親の死後、父親がこのような有様ですので高校進学を経済的な理由から断念し、中学卒業とともに働きに出るようになります。仕事は食品加工工場でのアルバイトのようですが、朝早くから夜遅くまで懸命に働き、家に帰ってからも家事と父親と誠の世話に追われる形となり休む暇もない状態だったようです。また妹が懸命に働いた金は兄の誠の帰りの交通費に消え、妹の買った私物も二束三文で売り払われ誠の旅費の足しにされていたようです。

なぜ山口誠はこのような放浪を繰り返していたのか?謎が残りますが少なくとも自宅に居たくない理由として考えられるのは、どうも父親も浅草での殺人事件の後で分かった事ですが知的障害を抱えていたようです。それが理由かは分かりませんが、誠に対して度々暴力行為を行っていた模様。時には皮膚が膨れ上がるほど青竹で叩いたり真冬に全裸にして外に放り出したりと躾を通り越し折檻に近いものがあります。誠は父親に怯えていたようですので父親の前からすぐに姿をくらませていたのは、このような背景が関係している模様。
放浪の理由のすべてではないにしろ、自宅にいたくなかったのは母親と言う唯一の誠の理解者であり保護者の死というものも大きく関係していると思われますが、おそらく父親と同じ場所にいる事を極端に恐れていたと思われます。

誠の妹が高校進学を断念した事は書きましたが、その後食品加工工場で働く中で体中に腫瘍のできる難病を発症し、
数回の腫瘍の摘出手術を受けますが、この難病はさらに転移を繰り返すことになり25歳で病死するまで闘病生活をすることになります。ただ父親があのような状態ですので、治療費を稼ぐために懸命に仕事をして稼ぐ事になります。
その金すら父親にせびられ、兄の誠の放浪の旅費に消えていくわけです。
(この闘病の模様については割愛します。)
妹も当初は嫌々ながら兄の金の無心に応じていたものの(半ば強制的ですが)、いい加減堪忍袋の緒が切れ旅先からの兄誠の金の無心を断り「お兄ちゃんなんか、もう帰ってくるな!」と突き放した事があります。
このことは浅草での事件の前になるため、浅草で事件を起こす前、金に困窮した誠がいつものように交番を訪れ交通費の工面を依頼し北海道の自宅に戻らなかった理由の一つにあげられると思いますが、さすがに妹の事を責めるのは酷というしかありませんし、仮に妹が兄の誠の金の無心に応じ続けていたとしても、妹が25歳で病死した場合、金を工面する事は事実上できなくなりますので、浅草での事件は起こらなかったかもしれないけど、困窮した誠が浅草での事件を別の場所で起こす可能性は否定できません。

いづれにしても、この事件浅草での刺殺事件を起こす前にも山口誠は服役を繰り返しており、知的レベルに問題があることは裁判の過程で明らかになっています。出所後に担当保護司が単に定職につくようにと促すだけで終わらずに、最寄の福祉事務所と連携を取り山口家の窮状とあわせて生活を安定させるように努めるように生活保護など考えられる手助けをしていれば十分に防ぐ事ができた事は想像にかたくありません。生活保護を与えると同時に誠と父親を世帯分離させるなどの措置をとれば少なくとも誠の放浪癖をとめる事はできたのかもしれません。少しでも山口家に踏み込めば、山口家の経済状況が破綻していることはすぐにわかることですし、福祉の手助けを得る事ができれば浅草での事件自体起こる事はなかったと考えると残念と言うしかありません。

しかしこの事件ですが、この山口家というのは呪われているとしか思えません。父親は知的障害、母親は若くして白血病で他界、誠は知的障害に自閉症、妹は知的障害はないものの25歳で癌で他界、唯一問題がないと思われているのが知的障害のない弟だけです。早くして就職を機に実家を出て独立し結婚して所帯を持っています。(この事件後どうなったのかは知る良しもありませんが・・・)事件後、妹は山口家の困窮ぶりをしったボランディア団体に保護された際に申しております。「生まれてから一度だって楽しかったことはない」その後癌で余命幾ばくもないことを宣言されますが、ボランティア団体により様々な場所に連れて行ってもらい、残りの余生において多少なりとも普通の若者らしく人生を楽しむことができたことは、この事件における唯一の救いと言えます。
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