こっぺぱんブログ

ARTICLE PAGE

in 雑記

カルタゴ滅ぶべし②

-- COMMENT
前回の続きです。

ローマとカルタゴとの間で和平交渉が成立しつかの間の平和が訪れることとなりますが、話はこれで終わりません。
カルタゴは10,000タレントの賠償金を50年賦でローマに支払うという取り決めがなされましたが、
カルタゴは急速に戦争によって疲弊した経済を貿易により立て直していき課せられた賠償金を前倒しして支払いを終える事となります。
毎年200タレント銀貨の賠償金(カルタゴ農業生産の1年分未満)というのですからどれだけ莫大な金額かはある程度イメージできると思います。
ただ20年近い戦争でローマの本土であるイタリア全土が荒廃しており、数十万人の犠牲が出ている事、カルタゴも海外領土(シチリア島、サルデーニャ島、ヒスパニア)をローマに引き渡している事から考えると、軍事行動の自主決定権はもたないものの、
冷酷で知られるローマにしては割と寛大な対応であったともいえなくも無いです。

ですが、この急速なカルタゴの復旧に危機感を感じ復興したカルタゴを滅ぼすべきだと言う民意がローマにおいて芽生えていきます。
特に主戦派のマルクス・カトーは元老院でどんな演説をしても、カルタゴ滅ぼすべし「ところで、カルタゴは滅ぼされなければならない」の言葉で締めくくったそうです。
カルタゴは二度の戦争で領土の大半を失ったにもかかわらず、ローマへの高額の賠償金を繰り上げて完済しており、
長らくカルタゴに悩まされてきたローマにとっては、かかるカルタゴの驚異的な経済力や復興力は脅威であり、
ローマ内ではカトーを始め、ローマへの将来の禍根を断つ為、いつかカルタゴを徹底的に破壊すべき、という意見が増え始めていきます。
その頃ヌミディアは数度にわたりカルタゴ領土に国境侵犯を繰り返し、町を襲撃しており、
カルタゴはヌミディアの侵略に対抗すべく大規模な軍隊(25,000人)を召集したものの、完敗してしまいます。
その結果、ヌミディアとの間には、カルタゴは新たに50年間の賠償義務を負うことになりますが、
話はこれで無事に幕引きを図るというわけにはいきません。
カルタゴは講和条約に違反して軍隊を召集しており、ローマはこれに難癖をつけカルタゴに対して開戦をちらつかせます。
カルタゴは低姿勢で外交交渉を行いカルタゴの良家の子息300人をローマに人質として差し出す事を条件にことを納めようとします。一端はローマとの開戦を避ける事に成功したと思われたものの、人質の送還が行われるとローマは約束を違えて、
軍団をウティカに上陸させ、今度は全ての武器と防具とを引渡せと要求を加ます。
すべての武器と防具を引き渡せというのは事実上の無条件降伏の勧告と思われますしカルタゴも断固反対し、
これ以上の譲歩はできないとローマと一戦交えると思いきや、あっさりとこの要求を呑むことになります。
すべての武器と防具の引渡しを終えた後、ローマは更なる要求を加えます。
それは海岸の都を廃し、10マイル以上の内陸に遷都しろというものです。
都市国家カルタゴにとっての数世紀に及ぶ首都であり海外における領土を第二次ポエニ戦争で失ったカルタゴにとって、
唯一の都市でもあります。
また海洋国家であるカルタゴにとって海洋貿易は欠かす事のできないものです。
それを取り上げられ内陸に移るということはカルタゴに対する事実上の死刑宣告と同じであり到底受け入れる事のできない要求でもあります。
すでにすべての武器と防具を引渡し武装解除していたカルタゴですが、ここで初めてローマの要求の真意に気がつくこととなります。
それはいうまでもなく都市国家カルタゴの解体です。
ここでカルタゴはローマとの戦争もやむなしと判断し要求を拒否、結果的に第三次ポエニ戦争が始まります。
開戦と同時に町は包囲されたものの、武器を急遽こしらえ、市街戦を展開し徹底抗戦の構えを見せます。
紀元前149年に始まるこの包囲戦に、カルタゴは紀元前146年の春まで持ちこたえました。
しかし、都市は完全包囲下にあり、食料等の物資の補給のないカルタゴ側は餓死者を続出させそれは凄惨きわまるものであったそうです。
最後にはスキピオ・アフリカヌスによりカルタゴの首都は陥落、征服される事となります。
戦後に残されたカルタゴ人の数は5万人ということですが生き残ったカルタゴ人はすべて奴隷として売られたそうです。
栄華を極めたカルタゴの都市は、10日間から17日間ほどで手際よく焼き払われ、町の壁や建物、港は完全に破壊の限りを尽くされ、一説によると周辺の土地は作物が育たぬようにと塩が撒かれたとも言われています。
これにより紀元前264年から断続的に続いたカルタゴとローマの戦争は紀元前146年にカルタゴの陥落とともに、
あっけなく終焉する事となります。

さて、地中海貿易において巨万の富を築き栄華を極めたカルタゴですが、地中海世界の覇権をかけローマと対峙したカルタゴ、
ハンニバルの活躍もあり第二次ポエニ戦争においてローマの精鋭かつ大軍を完膚なきまでに叩き伏せローマを後一歩まで追い詰めましたが、その終わりは非常にあっけないものとなりました。
どれだけ栄華を極めた大国であっても滅びるときは一瞬のような気がします。

このポエニ戦争というのは古代ローマ史を学ぶ中で切っても切り離せない一場面であり、
軍事の天才ハンニバルとスキピオという二人の英雄の存在もあり共和制ローマから帝政ローマに移行する中において、
個人的に最も好きな話です。
もちろんカエサルの登場で更なる盛り上がりを見せるのでノンストップでおもしろいんですけどね。

ここからは何故ローマに並ぶほどの経済力と軍事力を持ち地中海世界に君臨していたカルタゴがあっけなく滅亡していったのか?緩く考察してみたいと思います。
その前になんですが、第二次ポエニ戦争においてカルタゴはローマから幾つかの条件をつけて講和する事になりました。
その中には軍事力の保有を禁止されており、軍隊を徴募、編成する事も禁じられていました。
そのような中で隣国のヌミディアに度々侵入されたため、ローマに度々軍隊の派遣を要請していたようですが、
ぬらりくらりと、その要求をかわされたためやむなく自分で軍を徴募、編成することになりましたが、
そのことがカルタゴがローマから戦争を吹っかけられる要因となったのはいうまでもありません。
ただ、面白いのはどうもこのヌミディア軍にカルタゴ領を犯すように要請していたのは他ならぬローマであり、
その急先鋒なのはカルタゴ滅ぼすべし「ところで、カルタゴは滅ぼされなければならない」と演説後に結んでいたあのカトーというではないですか?
これにはローマのしたたかさ、カルタゴを滅ぼすという明確かつ強固な意志の強さを感じずに入られません。
明確な敵意と憎悪の眼差しを向けてくる強大な軍事国家を前にして、ひとたび譲歩をするという事は、
更なる譲歩を迫られる事となり、最終的に武装放棄を迫られた時にローマの真意に気がつき、ローマとの開戦やむなしと判断し、武装放棄をするまえに徹底抗戦をしていればローマ軍をてこずらせローマからの譲歩を引き出して講和する事もでき、
自治を獲得し多少規模は小さくなるけれど都市国家カルタゴの滅亡という自体はひょっとしたら避ける事ができたのかもしれません。
このような弱肉強食の時代にいたずらに戦争を避け対話のみに訴え相手の譲歩につぐ譲歩を飲むという行為は、
国家の自殺行為というしかないです。
第二次ポエニ戦争においてイタリア全土を戦場として荒廃し数十万人の被害を出しローマの滅亡まで後一歩というところまで、
追い詰められたローマとしては、カルタゴの存在は恐怖そのものではないかと想像します。
多額の賠償金を課せられたものの急速な経済復興を遂げ賠償金を前倒しで払うほどの経済力を見せ付けられた後では、
やはり、カルタゴとローマは両雄並び立たずとローマに捉えられ秘密裏に軍事力を高め再度ローマに牙を向く事も、
十分に考えられたため、その前に滅ぼしておこうと考える人間が出てくるのも無理からぬ事だと思います。
第二次ポエニ戦争というのは、それくらいローマ人に心の底から恐怖させる畏怖の対象となったのではないかと思います。
仮にカルタゴ側ではもうローマに逆らう事は辞めて、これからは貿易立国として細々と生きていこうという認識しかなくても、
そのような考えはローマにしたら、そんな事は信用できないという事にしかならないと思います。
またもうひとつ、カルタゴの敗因があったとしたらそれは国家の安全保障の一翼を傭兵に依存していたからという点。
第二次ポエニ戦争においてハンニバルのイタリア遠征時時、ローマの精鋭かつ大軍を散々に打ちのめしたのは、
もちろんハンニバルの類まれな軍事的な才能というものも欠かす事はできませんが、ハンニバルの得意とした戦術、
ローマ軍を上回る数の騎兵を使用した包囲殲滅作戦を遂行するには強力なヌミディア騎兵の存在を欠かす事はできません。
確かに傭兵は便利な存在だと思います。
軍隊は平時では金食い虫でしかありませんし常時強力な軍隊を自前で整えるためには、傭兵を戦争が発生したときに雇い入れるよりも多額の金がかかることになります。
ただ、いざという時に当てにしていた傭兵の存在が期待できないとしたらどのような事態になるでしょうか?
実際にそのもしもが起こった結果がザマの会戦に現れています。
ヌミディアがローマと同盟を結んだ事によりカルタゴから離反、ザマの会戦ではいつもであれば戦場に駆けつけてくれるヌミディア騎兵の存在がありません。
結果的にザマの会戦では歩兵の数ではローマ軍に勝っていたもののハンニバルの得意としていた騎兵の数の優位が得られずに包囲殲滅作戦を用いる事ができず、かえってスキピオに逆に自分の得意としていた戦術を模倣される事によって包囲殲滅され敗れる事となります。
結果論といえばそれまでですが、これもひとえにカルタゴが平時から騎兵をヌミディアからの傭兵に頼ることなく、
傭兵を雇うよりも多額の金が掛かったとしても自前で馬を揃え兵士を育成しヌミディア騎兵に勝るとも劣らない強力な騎兵を育成し自前で揃えていれば、最終決戦ザマの会戦で無様に敗れる事はなかったと思われます。
共和制ローマの軍隊の強みは傭兵に頼らず自国民で構成される点、これは国家が危急存亡の危機に立たされたときに、
その力をむしろ発揮していきます。
自分たちの国を守るために自国民が戦う、金のために雇い主のために戦う、どちらが国家の危急存亡の危機に対して粘り強く戦うでしょうか?いうまでもありませんね。
傭兵というのは金で雇い入れるものですが、優秀な指揮官の下で勝利に勝利を重ねているときは士気も旺盛だと思われますが、
当然の話ですが、雇い主の国家存亡の危機等知った事ではありません。
むしろ負け戦が確定的であれば士気も極端に下がり金のためにとりあえず戦闘には参加するけど適当に戦闘して、
降伏するか?隙を見て敗走すればよいだろ?くらいしか考えていないのではないでしょうか?
こんなことでは数だけ多くても戦力としてはまったく期待できません。
その辺りがザマの戦闘にまざまざと現れています。
緩くカルタゴ滅亡の敗因を考えるとこのようなところでしょうか?

何事も国の根幹である軍事をないがしろにして生き残ることは出来ないという何時の時代にも通じる教訓と言えそうです。
関連記事
スポンサーサイト
  • Share