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カルタゴ滅ぶべし①

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さて、今回はひとつの経済大国が滅亡にいたったお話を、してみたいと思います。
ここでいう経済大国とは古代ローマと地中海の覇権を争った結果滅亡に至った大国カルタゴです。
カルタゴは現在のチュニジア共和国に位置しており主に地中海における海洋交易により、
巨万の富を欲しいままにしておりその強大な海軍力により地中海における海の支配者の座を不動のものにしていました。
今回記事にしたいのは古代ローマとカルタゴの戦いポエニ戦争に焦点を当て、これらを紐解きながら書いてみたいと思います。
以下部分的にWIKIから引用しながら文章を補足します。

ポエニ戦争は紀元前264年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前146年のカルタゴ滅亡に至るまで3回に渡り繰り広げられています。
第一次ポエニ戦争を補足しますがこの戦争は大国カルタゴと同じく地中海世界においてイタリア半島を手中に収め台頭してきたローマとの間でシチリア島をめぐり起こります。
紀元前288年、カンパニア人の傭兵部隊マメルティニが、シチリアの北東にあるメッシーナの町を占領した。
彼らは男を殺害し、女を妻として連れ去った。彼らはメッシーナを拠点に国境を荒らし回り、
自治都市シラクサにとっても問題となった。シラクサの僭主ヒエロン2世は、紀元前265年にその座につくと、
マメルティニと対決しメッシーナを取り戻そうと決断した。
マメルティニはローマとカルタゴの両方に助けを求めた。
はじめローマ人は、マメルティニ軍がメッシーナの町を本来の所有者から不正に奪ったと考え、
助力する意欲がなかった。さらに、ローマはエペイロスのピュッロス王(レギウム、紀元前271年)を破った後に起きた、
傭兵の暴動を鎮圧したばかりだったので、この紛争に介入することを渋っていた。
このため、嘆願に応えてこの地に軍団を送ったのは、カルタゴの方が早かった。
それを見てローマはカルタゴ勢力がシチリアに広がるとイタリアに近づき過ぎると考え、
それを避けるため、マメルティニと同盟を結んだ。
紀元前264年、ローマはシチリアに外征した。これはローマ軍団がイタリア半島の外に出た初の事例となる。
翌紀元前263年にシラクサを攻略し、ローマとの同盟を強要した。
まもなく、紛争の主役はローマとカルタゴの対立に代わり、それがシチリアの所有権をめぐる争いにまで発展します。

シチリア島内の行動が難しかったため、第一次ポエニ戦争の舞台はほとんどが海上で、
戦況を決める重大な戦いもまた海戦だった。
また、海戦によって敵の港を効率的に封鎖すれば、島内の軍への増援と補給を封鎖できた。
両陣営ともに、艦隊は市民の資金で建造されていた。
このため、カルタゴとローマの戦力は資本力の許す範囲に限られ、それがついには戦争の行方を決めることになった。
第一次ポエニ戦争の開戦当時、ローマは海戦の経験を実質的には持っていなかった。
一方、カルタゴは過去何世紀にもわたる海上貿易のおかげで、豊富な経験を持っていた。
しかし、発展を続ける共和政ローマは、戦果を上げるためには地中海の支配権が重要だとすぐに看破した。
ローマは 紀元前261年のアグリゲントゥムの勝利後、最初の大艦隊を建造した。
一部の歴史家は、ローマの持つ船舶技術力は低かったと考え、戦艦の設計は捕らえたカルタゴの三段櫂船や、
五段櫂船が嵐でローマの海岸に打ち寄せられた船をそのまま真似たのであろうと推測している。
また、他の一部の歴史家は、海賊から沿岸を警備するため、ローマは既に船舶技術を持っていただろうとも指摘している。
開戦当時の船舶技術の程度がどうあれ、ローマは急速に適応していった。
つまり、短期間で数百隻もの艦隊を就航させるようになっていったのである。
おそらく、少ない経験を補って、標準化された陸上戦術を海上でも使うために、
ローマ軍は新しい船に特殊な乗船器具カラス装置(コルウス)を装備した。
当時、海戦では尖った船先をぶつける方法が常識だったが、カラス装置を装備した船は、
船体を敵船の横側につけ、船橋を渡して先端に付けた爪で敵船を捉え、乗船隊(いわば海兵隊)として軍団(レギオー)を送った。
新兵器の効果は、海戦においてローマが初めて勝利したミレ沖の戦いで証明された。
その後、数年間この装置は活躍を続け、特にエクノムス岬の海戦において大きな役割を果たす。
カラス装置の出現によって、カルタゴは軍事戦術を立て直す必要に迫られた。
しかし、カルタゴは有効な戦術を見つけられず、海上ではローマが優勢になった。
しかし、カラス装置は軍船の操作性を悪くしたので、後年、ローマの海戦経験が増えるにつれ装置は使われなくなっていった。
共和政ローマは多くの海戦で勝利したものの、嵐と戦闘によってほとんどの船と船員を失っていった。
少なくとも二回(紀元前255年 / 253年)も全艦隊を悪天候で失う事件が発生した。
船首のカラス装置が重いために船は不安定になり、悪天候に遭うと沈没していった。
戦争の終盤になると、ローマは高価な艦隊を新しく建造する資金を出し渋るようになり、
カルタゴが海上で優勢になった。ところが、カルタゴには戦争に反対する一派があり、
紀元前244年に大地主の貴族大ハンノがその党首の座につくと、戦争は間もなく終結すると考えて、艦隊を解散し始めてしまった。これにより、ローマ軍は海上の優位性を奪い返す機会を得た。
ローマは裕福な市民からの寄進によって新たな艦隊を建造し、
アエガテス諸島沖の海戦(紀元前241年3月10日)で第一次ポエニ戦争の決着をつけた。
この海戦では、執政官ガイウス・ルタティウス・カトゥルス率いる新しいローマ艦隊が勝利を挙げた。
カルタゴは艦隊の大半を失い、新船を建造する経済的余力もなく、船員の人手を探す力も失った。
ハミルカル・バルカも艦隊が無くてはカルタゴから切り離されてしまい、降伏せざるを得なかった。

第一次ポエニ戦争でローマに大敗しカルタゴはシチリア島をローマに割譲し、地中海における海上覇権を大きく減退させた。
カルタゴはこの損失を補うため、ヒスパニア(イベリア半島)の征服に取り掛かった。
ハミルカル・バルカによってヒスパニアの征服と植民地化が開始され、彼の死後は娘婿のハスドルバルが事業を継続しました。
紀元前226年、ハスドルバルはローマとの間にエブロ川以北には進出しない旨の誓約を交わした。
紀元前221年、ハスドルバルが暗殺されると、ハミルカル・バルカの息子ハンニバルが後継者となった。
ローマの伝記作者に拠れば、ハンニバルは幼い頃からローマに対する憎悪を教え込まれ、攻撃の機会を狙っていたという。
紀元前219年、ハンニバルはサグントゥムを攻撃した。サグントゥムはエブロ川以南の都市であったが、
ローマとの同盟を結んでいたため、ローマは攻撃停止を求める使節団をカルタゴに派遣した。
しかし、両者が交渉をしている間にサグントゥム陥落の一報が到着、
クィントゥス・ファビウス・マクシムスは使節団を代表して宣戦を布告します。
このことによりローマとカルタゴとの間で第二次ポエニ戦争の火蓋が切られることになります。

ローマを屈服させるにはイタリア本土を直接攻撃するしかない。
しかし、第一次ポエニ戦争により制海権を喪失しており制海権がローマに握られている以上、海上からの侵攻は困難であり、
さらにローマはカルタゴの侵入が予想されるイタリア西部、南部に兵力を配置していた。
ここでハンニバルはアルプス山脈を越え、ローマの防備の薄い北方から侵攻するという有名なアルプス越えを決行します。
当初約40,000名の兵士と30頭の戦象を抱えていたものの、すでに9月のアルプス山脈は冬季といってよく、
越山は困難を極めイタリアに到着した際のカルタゴ軍の兵力は26,000名(歩兵20,000名、騎兵6,000名)、
戦象はわずか3頭となっていたというのですから山越がいかに困難を極めたのかを物語っています。
このハンニバルはアレクサンドロス大王やナポレオンと匹敵するほどのまさに傑出した軍事の天才といってよく、
イタリアに侵入後、次々に繰り出されるローマの大軍をティキヌスの戦い、トレビアの戦い、トラシメヌス湖畔の戦い等、
次々と撃破していきます。
特にカンナエの戦いでは圧倒的に兵力で勝るローマ軍を巧みな戦術により完膚なきまでに叩きのめしており、
このような表現は適切ではないと思いますが、あえて使わせていただくと戦争芸術の域に達していると思います。

このように緒戦で圧倒的な勝利を重ね連戦連勝のハンニバル率いるカルタゴ軍ですが、
その後はというと期待していたローマの同盟都市の切り崩しに失敗して戦線は膠着状態となります。
当のローマは戦意を大きく喪失したものの、新たに兵を徴募し軍の再編に望みます。
ハンニバルとの直接対決ではどうしても勝てないと判断したローマは直接対決を避け、
ハンニバルの本領であるヒスパニア(イベリア半島の古名)の制圧を目指します。
ヒスパニアに進入したローマ軍ですがハンニバルの弟であるハスドルバルと激戦を繰り広げ、
一進一退の戦いを繰り広げますが、多くのローマの将軍が戦死する中ローマ軍も攻めあぐねてしまい膠着状態となります。
このような状況で新たに司令官としてヒスパニアに到着したのがスキピオ・アフリカヌスです。
ハンニバルがカルタゴの英雄であればスキピオはローマの英雄と言えます。
この新進気鋭の英雄の存在によりヒスパニアの情勢は大きく動き出していきます。
このスキピオの類まれな戦術によりヒスパニアにおけるカルタゴ軍を散々に蹴散らしていきます。
その後ヒスパニアの放棄を決断したハスドルバルは自ら軍を率いてアルプス山脈を越えイタリア南端に駐留しているハンニバル軍と合流すべく動き出します。
ですがその動きを察知したローマ軍により、メタウルスの戦いにおいて打ち破られハスドルバル自身も戦死、
その首は剥製にされ後日イタリア南端に陣取っていたハンニバルに投げ込まれました。
ハンニバルの戦意を喪失させるにはこの上ない方法だとは思いますが、少々残酷な話です。
その後ヒスパニアのカルタゴ軍の残存部隊を破りヒスパニア全土を占領する事に成功したスキピオですが、
イタリア南端に陣取っているハンニバルとの直接対決を避けカルタゴ本国を直接攻撃するように議会で進言しますが、
これは元老院の反対を受け退けられます。
その後シチリアに派遣されたスキピオはそこで兵を徴募し、新たに編成された軍団を率いてカルタゴの本国に進行します。
カルタゴはヌミディア軍と共同してこれを迎え撃ちますがスキピオは散々に蹴散らし余勢を駆りヌミディア本国に攻め込み、
ヌミディア王シュファクスを捕縛、自身の保護下にあったヌミディアの王子マシニッサを王に即位させて、
アフリカにおける同盟国を得ることとなります。
これによりカルタゴは幾多の会戦で勝利を収めてきた強力なヌミディアの騎兵の支援を失う事となります。
その後危機感を感じたカルタゴはイタリアにいるハンニバルを本国に召還します。
一度はローマと和平交渉を行うものの決裂、ローマとの決戦が避けられないとみるやカルタゴはハンニバルに、
約50,000名の兵と80頭の戦象を率いさせて派遣し、スキピオも約40,000名の兵を率いてヌミディアからカルタゴへ兵を返します。
紀元前202年10月19日、両軍はザマの西方で対峙、最後の決戦が幕をきります。
ハンニバルの得意としてきた戦術として、歩兵を中心に位置させ、その左右にローマ軍に数で勝る騎兵を位置させます。
まず左右の騎兵がぶつかり、遅れて中央で歩兵同士が激戦を繰り広げますが、歩兵のぶつかり合いではローマ軍が圧倒する場面が多数ですが、陣形を駆使して巧みな戦術で持ちこたえます。
その後数と質で勝るヌミディア騎兵が猛威を振るいローマ軍騎兵を背走させます。
その後騎兵はローマ軍の背後に回り前面の歩兵と合わせて包囲殲滅するという戦術で数に勝るローマ軍を圧倒してきました。
ですが、今回のザマの戦いではいままでのローマとの幾多の戦いで猛威を振るったヌミディアの騎兵がおらず、
歩兵の数ではローマ軍に勝りますが、騎兵の数はローマ軍に劣るという結果になりました。
これではハンニバルのいままで得意としてきた戦術は有効に機能せず、逆にスキピオ率いるローマ軍により、
これまでのハンニバルの戦術そのままに数に勝るローマ軍騎兵にカルタゴの騎兵が圧倒され背走、
その後、後方に回り込んだ騎兵に包囲殲滅されカルタゴ軍は壊滅します。
戦意を失ったカルタゴはローマに和平を願い出ることとなりますが、ローマの全権代表であるスキピオは、
以下の条項を突きつけます。

1.ローマはカルタゴの独立を承認し、同盟を締結する。ただし従属ではなく対等の関係とし、ローマは自治権を奪わず、駐留軍も残さない。
2.カルタゴはシチリア、サルディーニャ、ヒスパニア等の海外領土を放棄する。ただし、開戦以前のアフリカのカルタゴ領は保持を認める。
3.カルタゴは支配下のヌミディア領を全てマシニッサに引き渡し、ヌミディアの独立を承認する。
4.カルタゴは10,000タレントの賠償金を50年賦でローマに支払う。
5.カルタゴが捕虜としているローマ人を全てローマに引き渡す。
6.以後、カルタゴはローマの許可なくいっさいの戦争を行わない。
7.カルタゴは10隻をのぞいて全ての軍船、および戦象をローマに引き渡す。また、以後は軍船の建造、戦象の育成を行わない。
8.カルタゴは14歳以上30歳以下の子弟100名を人質としてローマに差し出す。人選はスキピオが行う。
9.以上の仮条約が元老院に承認されるまで、カルタゴ領にとどまるローマ軍の経費はカルタゴが負担する。

スキピオの突きつけた条件は上記のようなものですが、軍事力の保有も許されず、交戦権も禁止され、事実上の従属でです。
しかし、カルタゴに他の選択肢はなく、全面的にこれを受け入れることとなります。
ローマの元老院もいくつか修正した条約を追認し、熾烈を極めた第二次ポエニ戦争は終結することとなります。
交戦権と軍事力の保有を禁止され、ついでに外交権も否定するというのは事実上の属国と同じことというのが国際常識だと思いますが、アジアの極東に位置しているどこかの国の俗に言う平和憲法も同じことを憲法で明記していますけど、
そうするとその国は属国という事になるのでしょうか?

さて話は戻りますがこれにより長らく続いたローマとカルタゴとの間の戦争は終結しに束の間の平穏が訪れる事となります。
長くなってきたので一度話を切ります。


カルタゴ滅ぶべし②に続きます。
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