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in メンタルヘルス

双極性障害とパーソナリティ障害のお話

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表題の双極性障害とパーソナリティ障害ですが、これが現在管理人についている病名です。双極性障害と診断されたのは訪れた精神科にてその病名がつきました。

その後、引越しに伴い精神科を幾つか点々とする羽目になったので、かれこれ精神科には5件、いままで通っていた心療内科を含めると6件ということになりますが、最初の二件は不眠で通っていたのですがカウントしませんけど他の場所も最初にカウンセリングを行いますが、結果的に双極性障害という病名は変わりません。

この双極性障害というのは躁鬱と抑うつを繰り返す割とたちの悪い障害なのですが、おそらくですが、この双極性障害という病名というか診断結果はおそらく誤診なのではないかと推測します。

この理由なんですが、過去の記事に何度か書いているので割愛したいのですが、不特定多数が何らかの形でアクセスするブログの性質上正確を喫するために面倒ですが、あらためて書いておきたいと思います。

双極性障害を抱えている方のブログを一時期色々と拝見していたことが有るのですが、その症状を見る限りにおいて、もちろんⅠ型とⅡ型で異なるとは思いますが、割と短いスパンで躁鬱と抑うつの症状を繰り返している方もいて社会生活はおろか日常生活に大きく支障をきたしているため、かなり辛そうな方が目立ちます。

管理人はというと少なくともこの丸3年ほどの間は、躁鬱の症状は出ていないこと。いままで長らく抑うつと思われていた症状もベンゾ系の睡眠薬の副作用と離脱症状に過ぎないと思われること。

ベンゾ系の睡眠薬の断薬をした今は割りと体調も良く少なくとも躁鬱や抑うつの症状は出ていないことを考慮すると、やはり誤診ではないかと推測します。

薬といってもドグマチールしかここ2年間服用していませんしね。さすがにこれだけ長い期間躁が出ていないという方を拝見した事はありません。

双極性障害の定義を依然かかっていた心療内科の先生に伺ったことがありますが、躁鬱と抑うつをどれくらいのスパンで繰り返すか?またどれだけの期間発症しなければ病名が外れるか?伺ったことがありますが、期間についての明確な定義は今のところないのだそうです。

仮に抗うつ剤のOD、抗うつ剤服用後にアルコール摂取するといった行為の結果躁鬱状態になったとしても、一度でも抑うつ状態と判断された場合、結果として双極性障害という病名がつく模様。

当時はマイスリーとドグマチールを服用していましたが、日常的に薬の服用後アルコールを摂取するといったことを行っており結果として躁鬱状態になったものと個人的に考えています。

マイスリーには副作用としてある種の多幸感があり、ドグマチールは服用する量によっては抗うつ作用があることは、いうまでもありませんが、アルコールを服用することで多量の薬をODしたことと同じことが言えると考えます。

これらの薬を飲む事で意識的にテンションを上げることができると経験則から理解し酒でODすることで、さらに気分の高揚を図る事ができる事も体験的に理解していたため、人と会わなければいけないときに、無理やりテンションを上げたいときなど、意図的にドグマチールの服用量を増やして、酒で飲み干すといったことをしていました。

結果として躁鬱に近いというか躁鬱そのものの症状を呈していたと思います。傍から見る限りはよく言えば社交的で饒舌で明るい人間にしか写らなかったと思います。

ただ、これらのODを恒常的に行った結果どうなったかというと、極度の躁鬱の症状を自分でコントロールすることができず、欲しいものがあったら自宅にあったものを売り払ってでも手に入れる金銭感覚の欠落、人間関係の悪化等、日常生活に大きく支障をきたす場面も出てくることになりました。

かかりつけの内科で、躁鬱だと判断され、その後精神科に紹介状を書いてもらい半ば強制的にいく事になりましたが、当初処方されたジプレキサとデパケンです。

この薬を服用したことであれだけ強烈に出ていた躁鬱症状はなくなりましたが、今後は沈静化作用が強すぎて体を起こすことすらできずにしばらく寝たきりとなりました。

引越しと同時に通院していた精神科に行くことが距離的にできなくなったので自己判断で薬を中断した結果、徐々に体が重くて動かない症状からは開放され楽になりました。

ただ一度でも精神科に通院歴がついたことと、双極性障害という病名がついた結果ドグマチールを、依然通っていた内科では処方してもらうことができず、薬なしでしばらくの間過ごす事となりますが、慢性的な食欲不振の結果食事も喉を通らなくなり結果的に体調を崩し近所の精神病院に再度いく事に。

そこでもカウンセリングの結果ついた病名は双極性障害でしたが、当初処方されたのはリーマスです。双極性障害に処方される気分安定薬としてはセオリー通りの処方ですがまったく効果なし。

症状はさらに悪化していきますが、その後処方された抗うつ剤のサインバルタと気分安定薬のテグレトール。これを飲んでさらにさらに病状は悪化の一途をたどり食事も喉を通らなくなり結果的に自己判断で入院する形になりました。

入院時その後しばらくの間テグレトールが処方されていたものの経過はあまりよくなりません。ドグマチールの処方をこちらが強く希望したこともあり当初は主治医も渋っていましたが、少なくとも躁鬱症状が無いことから希望が通り処方され服用することとなりました。

その後は食欲も戻り劇的に症状は改善していくこととなります。単純にドグマチール切れからくる離脱症状と思わなくも無いですが、この件については医者に何度か伺っていますが、良く分からないとのこと。

医者も良く分かっていないしなんともいえませんけどね。以上の流れを考えるに躁鬱症状を呈したのは酒でドグマチールやマイスリーをODした結果の症状ではないかということ。その証拠に双極性障害のセオリーであるリーマスやジプレキサやデパケン、テグレトールを服用しても鎮静作用が強いだけで返って症状は悪化している点。薬のODによる擬似的に作られた躁鬱症状と考えるのが自然ではないかと推測します。

これらの点を考慮すると双極性障害というのは誤診である可能性が高いと判断するしか無いです。

ただ、精神科というのは非常に診察時間が短いです。短い時間で前述した経緯を説明するのは難しいというか無理なので。精神科が安易にというわけではないですが限られた短い診察時間の中で双極性障害と判断したのはまあ、しょうがないのかなと思わなくもないです。

医師は目の前にいる患者の症状を見て基本的に判断しますので、目の前にいる患者が明らかに躁鬱を呈しており、問診の結果抑うつを抱えていたと思われる時期があったとすると、双極性障害とつくのは避けられません。

薬を酒でODした自分が悪いんですけど、酒と薬を合わせて飲んではいけないとか当時は知りませんでしたので。患者なんてそんなものでしょう。

話は戻りますが、なかなか医者は一度ついた病名を取り消そうとはしません。この現代社会、誤診を認めた場合下手すると訴訟に発展する可能性を考えると精神科医が病名を取り消そうとしないのは、賢明な判断かもしれません。

一度ついてしまった病名を取り消すのは容易なことではありませんが障害者手帳を取得しているわけでもないし、特に日常生活に大きく支障をきたすこともないので特に困ることはないですけど、どうにも釈然としないものがあります。

ちなみにリーマスやジプレキサ、デパケンといった気分安定薬ですが、本当に双極性障害で躁鬱と抑うつの波がある方に対しては割りと効果のある薬のようでして、嘘の申告をした双極性障害の方に対しては強力な鎮静作用しかないので体が重くて寝たきりになりますが、本物の双極性障害の方に対してはかえって気分の波が抑えられ症状によるが日常生活や社会生活が送れるレベルになるそうです。

向精神薬って色々といわれてますが、統合失調症とか本物の双極性障害、てんかん、極度の躁鬱などの患者に対しては、まさに神の薬ではないかと思います。

薬なしでは社会生活はおろか日常生活を送ることすら困難なのに、薬を服用している限り症状を、大幅に緩和されるわけですので。一昔前は人生の大半を精神病院で過ごす俗に言う社会的な入院がまかり通っていたことを考えると、やっぱり精神医療の進歩ってすごいなと素直に感じます。


話は変わりますが、管理人についているもう一つの病名パーソナリティ障害ですが、これはどうでしょうか。このパーソナリティ障害ですが、こちらは色々と思い当たる節がありまして、残念ながらこちらは診断通りあたっていると思います。

パーソナリティ障害というのは偏りのあるものの考え方や行動によって、本人やその周囲の人々が、社会生活を普通に送れず苦しんでいるような場合に診断される病気です。

過剰な被害妄想があったり、態度が常に演技がかっていたり、感情のコントロールがきかなかったりと、その症状はさまざま。このような症状の出方は、アメリカ精神医学会によって10種類に分類され、さらに大きく3つにグループ分けされているようです。

管理人が長らく悩んでいたこととして主に人間関係の構築が苦手なことというのがありまして、主に職場においてですが初対面では同姓、異性関係無く普通に話すことはできるのですが、長期的な人間関係の構築を非常に苦手としています。

いえ、当たり前の話ですが管理人が付き合いやすいと感じた人間とは当たり前ですが普通に話せます。気心の知れた同僚とは会社帰りに飲みにいったりも中の良い人に限りますが普通にしていました。

ですが職場という性質上それこそ様々な種類の人間がいるわけで中には明らかに馬の合わないであろう方も、多数いらっしゃいます。そのような環境で普通の人であれば当たり障り無く様々な人間と最低限のコミュニケーションを仕事以外のシチュエーションでも時には雑談をまじえつつ行うことができるのだと思いますが、管理人はどうにもそのあたりが苦手です。

そもそも馬の合わない相手と何を話してよいのか?さっぱりわからない。ある会社にいたときに親しくしていた同僚にそのことを話すと今日の天気でも話していればよいんじゃないの?といわれたものの今日は天気が良いですね?という会話になんか意味があるのかな?と思ってしまいます。

もちろん天気の話しというのはまず天気の話しを切っ掛けにして話しを膨らませる糸口にしては?という事だと理解はするのですが、相手も別に話を振ってくるわけでもないし、こちらも別に話す事もないし無理に話しを膨らませる必要も無いしなあと思ってしまい、なかなか実行する事が難しかったりします。

いえ、難しいというよりは単にこちらも興味が無い、相手もこちらに興味が無いという関係において、単純に話しを膨らませるのが面倒なだけだったりします。

このあたりは学校での勉強時にも顕著に現れており自分が興味のある分野においては、知的好奇心が大きく勝っており学ぶことに対して勉強をするという概念が無いのでどんどん吸収していきますので、特定のジャンルの成績は群を抜いてよいが自分の興味の無いジャンルについては、そもそも興味も無い、学ぶ意味もよくわからないためトコトン怠けていました。

数学等は当時は学ぶ意義を見出すことができないため赤点を取らないぎりぎりのラインでしか勉強しませんでした。要は興味のある事柄が非常に限定されており、結果として会話のボキャブラリに乏しいのは否めません。

そのことは人間関係におけるコミュニケーションにも大きく影を落としており、会話のボキャブラリの乏しさに現れるのではないか?と自己分析しています。

嫌、どちらかといえば好奇心をくすぐられる事柄にしか興味が無い、人間に対しても、自分が興味を持たない人間に対しては、そもそも積極的にこちらから話す意義を見出せないというほうが正確だと思います。

ただ学校であれば仲の良い人間とだけ話しても何とか通用するわけですが、社会に出て行くと支障をきたす場面も出てきます。
当たり前のことですが社会に出るとすべての人間が自分に対して好意の感情を向けてくることは無く、人によっては明確な敵意を向けてくる場合もあります。

その方が直属の上司であったり仕事をする上で密接な関係がある場合は最悪です。その結果人間関係につまづいてというか、居づらくなり職場をやめざる終えないという弊害が生じてきます。

転職も一度や二度ではなく若いころは仕事内容は気に入っているのだけれども人間関係に躓き仕事を辞めたことが、大半であると思います。

さすがにここまで来ると何か脳に障害でもあるのではないか?と疑いたくなりますが、実はそのあたりのことを初めて精神科を受診したときに精神科の医師に訴えたことはあるのですが、そのときの回答は、「職場は友達を作りにいく場所ではありませんよ!」というものでした。

「いやいや、そんな事いわれなくても分かってるわ!」とは言いませんでしたが、心の中で思いました。ただこのことは長らく気になっており、依然通っていた精神病院で再度担当医に相談した結果、それでは一度テストをしてみましょうという話になりました。

テストの内容は基本的な知能テストですが一部人間の感情の機微を汲み取るような箇所もあり、発達障害、自閉症、ADHD等の症状が見られるかあわせて診断ができるとのこと。

テストは当初30分程度で終わるかと思ったのですが、予想に反して長引き3時間弱とかかかった気がします。当時はベンゾ系の睡眠薬の副作用が酷くとにかく頭が回らないため結構きつかった記憶があります。

診断結果は後日でたのですが、結果的には発達障害、自閉症、ADHDの類ではないもののパーソナリティ障害であるとのこと。
パーソナリティ障害にも色々と種類があるようですが、ちょっと記憶があいまいで種類については失念しました。

若いころには自己評価が過大で、非常につよい優越感や全能感を感じると言った特徴がおもいっきり合致するため、自己愛性人格障害だと思われますが、今はそのような事は無く、どちらかといえば、拒絶されるのを極端に恐れて、人と接することが困難になってしまう回避性人格障害の特徴が当てはまるような・・・

ただ、さすがに人と接する事が困難になるというレベルまではいかないので微妙なラインではありますけど。いづれにしても若いころからそのような特徴は出ていたのは間違いないと思います。

ただ、難しいのはこのようなパーソナリティ障害であると診断が出ても、障害者手帳を取得できるほど症状は悪いわけでもないので、福祉からの支援が受けられるわけではないこと。

このような人格障害というのは投薬治療で治るという性質のものではもちろんないので、一般的に認知行動療法により物事の考え方や受け取り方などを意識的に切り替えていく事が望ましいと思われますが、基本的には認知行動療法は保険適応外のためまじめにやろうとすると多大な時間と100万単位の金が飛んでいくのだとか。

さすがにそこまでの金銭的な余裕は無いため、結局のところいまの自分という人間と折り合いをつけつつ、社会と繋がっていくしかないのかな?と思います。

対人関係が苦手な人というのは世の中に少なからずいるとは思うのですが、当たり前の話ですが、普通にできる人には悩みの深さがなかなか伝わらないと思います。

勉強であれば知識の無さは本を読み知識を吸収する事で補う事は可能です。基本的には先天的な能力の欠如は経験によりそれを補う事はある程度までは可能だと思います。

どちらかといえば対人関係のセンスというのは勉強よりも運動神経に近い気がします。100mを9秒台で走れる方がいたとしますが、これらはすべての人間が努力する事で辿り着けるものではありません。

日々の練習の賜物であるのは言うまでもありませんが、それ以上に先天的に類まれな能力をもった一握りの人間しか、辿り着ける境地ではないと思います。もちろん100mを9秒台というのは極端な例ですけどね。

運動ができる人が、できない人に対してなんでそんなこともできないの?ということと、人間関係が円滑にできる人ができない人に対してなんでそんなこともできないの?という事は同義だと思います。

ようはできる、できないは元々の先天的な能力によるところが大きいのでできない人の悩みは、できる人には永遠に理解される事はないのだと思います。

なのでこのあたりの悩みを医者に話しても不毛な議論に終始することになります。ただ、自分で書いた内容を見直してみると、やっぱり人の気持ちの機微を汲み取る事ができないというわけではないので、やはり単に甘え、性格の問題のような気がしないでもないです。

自分でもそう思うのですから他人が見たらやはり甘えや性格の問題だと感じるのはやむ終えないところ。仮にパーソナリティ障害であったとしてもこれは理解されずらいと客観的に見てもそう思います。

ただ自分自身の考えを他者に口頭でもしくは文面で伝えるこという行為については普通にできるので、ますます分からないなあ。
業務上のやりとりにおいては相手の性格が合わないとか言ってられないので、そのような時は物怖じせずに、言う事は言わせていただきます。やっぱり甘えや性格のような気がしないでもないです。

後は、パーソナリティ障害の特徴として共通するのは幼少期の家庭環境に問題があり、適切な人格形成に支障をきたすことになった例が非常に多いと聞きます。

管理人の生まれ育った家庭環境もお世辞にも良い環境という事では確かになかったのですが、あまり思い出したくも無い過去である事はたしかに間違いないです。ちょっと長くなってきたのでこのあたりは機会があればおいおい書きたいと思います。
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